日本酒の歴史

日本酒(にほんしゅ)は弥生時代(やよいじだい)以後(いご)の稲作(いなさく)と共に(ともに)始まっ(はじまっ)たと言わ(といわ)れていますが、日本酒(にほんしゅ)についての1番(ばん)古い(ふるい)記録(きろく)は、紀元前(きげんぜん)3世紀(せいき)の中国(ちゅうごく)の歴史書(れきししょ)に、書か(かか)れていたそうです。その歴史書(れきししょ)には、人(ひと)が亡くなっ(なくなっ)た時(とき)に集まり(あつまり)歌舞(かぶ)飲酒(いんしゅ)すると言う(という)風習(ふうしゅう)が書か(かか)れているので、その当時(とうじ)から日本酒(にほんしゅ)があったと考え(かんがえ)られますね。日本(にっぽん)での日本酒(にほんしゅ)の事(こと)が書か(かか)れている初めて(はじめて)の歴史書(れきししょ)は、10世紀(せいき)に作成(さくせい)された「延喜式(えんぎしき)」があり、その中(そのなか)には酒(さけ)の造り方(つくりかた)が書い(かい)てあり、そのほとんどが米(こめ)の酒(さけ)だった事(こと)から日本酒(にほんしゅ)の成立(せいりつ)は、7世紀(せいき)までさかのぼることができますね。しかしこの時代(このじだい)には、まだ高価(こうか)な物(もの)であったようで農耕(のうこう)祭礼(さいれい)や、豊作(ほうさく)予祝(よしゅく)や収穫(しゅうかく)感謝(かんしゃ)の祭り(まつり)の時(とき)だけ酒(さけ)を造っ(つくっ)て、神(かみ)にお供え(おそなえ)し、そのお流れ(おながれ)を貰っ(もらっ)ていたようです。その後(そのご)、室町時代(むろまちじだい)に政府(せいふ)が積極的(せっきょくてき)に酒造業(しゅぞうぎょう)を支援(しえん)し始め(しはじめ)ました。その後(そのご)日本(にっぽん)酒造り(さけづくり)にとって技術(ぎじゅつ)革命(かくめい)と言わ(いわ)れている時代(じだい)が15〜16世紀(せいき)で、三段(さんだん)仕込(しこみ)・火入れ(ひいれ)といった日本(にっぽん)酒造り(さけづくり)にとって特徴的(とくちょうてき)な技術(ぎじゅつ)は、奈良(なら)の寺院(じいん)で僧侶(そうりょ)によって完成(かんせい)されていたと言わ(といわ)れています。その理由(りゆう)は、鎮守(ちんじゅ)さまにそなえるため酒(ざけ)が必要(ひつよう)だった為(ため)と言わ(いわ)れています。特に(とくに)当時(とうじ)インテリ階級(かいきゅう)だった坊さん(ぼうさん)たちが、旨い(うまい)日本酒(にほんしゅ)を作り(つくり)信徒(しんと)の信頼(しんらい)を得る(える)ために技術(ぎじゅつ)をみがいたと考え(かんがえ)られ、その技術(ぎじゅつ)を総合(そうごう)して16世紀(せいき)も終わり(おわり)頃(ごろ)になってから、「大和(やまと)緒(いとぐち)白(しろ)」と呼ばれる(よばれる)日本酒(にほんしゅ)が誕生(たんじょう)しました。そして17世紀(せいき)以降(いこう)になると酒造家(しゅぞうか)が記録(きろく)した酒造(しゅぞう)技術(ぎじゅつ)に関(かん)した文章(ぶんしょう)が見(み)られるようになり、その中(そのなか)には、1661〜1673年(ねん)の寛文(ひろふみ)年間(ねんかん)に、京(きょう)や大阪(おおさか)で酒造り(さかづくり)の勉強(べんきょう)をしたご主人(ごしゅじん)の筆記(ひっき)録(ろく)が新潟県(にいがたけん)の酒造家(しゅぞうか)に保存(ほぞん)されているそうです。その後(そのご)も日本酒(にほんしゅ)は、沢山(たくさん)の蔵元(くらもと)達(たち)に造ら(つくら)れ現在(げんざい)まで永年(ながねん)の間(あいだ)日本人(にほんじん)に愛(あい)されてきました。

日本酒

日本酒は弥生時代以後の稲作と共に始まったと言われていますが、日本酒についての1番古い記録は、紀元前3世紀の中国の歴史書に、書かれていたそうです。

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